「捨て猫対策?」ニ思う
2014年01月23日
きょう(1月23日)の南海日日新聞に載っている”つむぎ随筆21”
うーん、ちょっと同調できないところが。
エッセーを要約すると
・市役所が捨て猫を連絡しても対応しない。
・生きている猫は関知しない役所や保健所
・保健所は「殺処分です」とだけしか言わない。
・これで捨て猫対策に本気で取り組んでいるのか?
そんな感じですね。
で、エッセー書かれた人はどうしたかったのか?
・市役所と保健所が捨て猫を保護して、新しい飼い主を捜してくれると思ったのか?
・飼い主が決まるまでは、役所が引き取ってくれてエサを与えてくれると思ったのか?
普通、そう思うんでしょうか?
保健所が殺処分をするというのは、常識だと思ってました、私は。
大和村の野生生物センターが保護してますよね?そこに聞くべきだったんでは?
でも、
エッセーを書かれた人は、友達とかご近所とかで、猫を飼える人がいないか聞いたりしたんでしょうかね?
「自分では飼えないから、誰かが新しい飼い主を見つけて」
「自分は猫が好きだから、殺処分は自分ではできない」
その考えって、それって、ネコを捨てた人と同じではないでしょうか?
自分の前から、自分の庭からいなくなれば解決するということではないでしょう。
確かに捨て猫対策は十分じゃないと思いますよ。
鹿児島県内では2か所くらいは、捨て犬や捨て猫を保護して、飼い主を探す施設があると聞きましたが、それがない以上は、ただのないものねだりじゃないかと。
でも、施設を作っても、どんどんエスカレートしていだけではないかと。捨て猫・捨て犬だけじゃなく、ペットの動物全部に対応しろとかね。
街中で見かけてキライな人、それは、野良猫にエサをあげるけど飼いはしないという人。
それって、動物好きじゃなくて、ただのエゴだと思いますし。
生きているからこそ鳴くし、騒ぐし、ウンチするし、手がかかる。でも、それが生きている動物ってことだから。
責任を持って飼い、面倒を見て、それが自分でできなくなって、他に頼る人・譲る人もいなくなって、どうしようもない。
そのときには、自ら保健所に殺処分をお願いする、そういう人を増やしていくのが本当の対策ではないかと、究極的には思うんですよね…
あ、ただの独り言ですから
うーん、ちょっと同調できないところが。
エッセーを要約すると
・市役所が捨て猫を連絡しても対応しない。
・生きている猫は関知しない役所や保健所
・保健所は「殺処分です」とだけしか言わない。
・これで捨て猫対策に本気で取り組んでいるのか?
そんな感じですね。
で、エッセー書かれた人はどうしたかったのか?
・市役所と保健所が捨て猫を保護して、新しい飼い主を捜してくれると思ったのか?
・飼い主が決まるまでは、役所が引き取ってくれてエサを与えてくれると思ったのか?
普通、そう思うんでしょうか?
保健所が殺処分をするというのは、常識だと思ってました、私は。
大和村の野生生物センターが保護してますよね?そこに聞くべきだったんでは?
でも、
エッセーを書かれた人は、友達とかご近所とかで、猫を飼える人がいないか聞いたりしたんでしょうかね?
「自分では飼えないから、誰かが新しい飼い主を見つけて」
「自分は猫が好きだから、殺処分は自分ではできない」
その考えって、それって、ネコを捨てた人と同じではないでしょうか?
自分の前から、自分の庭からいなくなれば解決するということではないでしょう。
確かに捨て猫対策は十分じゃないと思いますよ。
鹿児島県内では2か所くらいは、捨て犬や捨て猫を保護して、飼い主を探す施設があると聞きましたが、それがない以上は、ただのないものねだりじゃないかと。
でも、施設を作っても、どんどんエスカレートしていだけではないかと。捨て猫・捨て犬だけじゃなく、ペットの動物全部に対応しろとかね。
街中で見かけてキライな人、それは、野良猫にエサをあげるけど飼いはしないという人。
それって、動物好きじゃなくて、ただのエゴだと思いますし。
生きているからこそ鳴くし、騒ぐし、ウンチするし、手がかかる。でも、それが生きている動物ってことだから。
責任を持って飼い、面倒を見て、それが自分でできなくなって、他に頼る人・譲る人もいなくなって、どうしようもない。
そのときには、自ら保健所に殺処分をお願いする、そういう人を増やしていくのが本当の対策ではないかと、究極的には思うんですよね…
あ、ただの独り言ですから
Posted by バムケロ at
09:03